2025年8月14日、裏千家十五代家元 鵬雲斎(以下、鵬雲斎宗匠)が102歳の高齢で他界した事は、全国ニュースでも幾度も報じられ、多くの国民の知るところである。


 戦時中は海軍特別攻撃隊の一員に選ばれ、米艦に体当たりするはずだった方であった。
 私は現在、茶道裏千家淡交会鹿児島支部の副支部長を勤めさせて頂いているが、それを超えて裏千家とは長いお付き合いをさせて頂いている。


 初めは鵬雲斎宗匠の次男でいらした伊住政和様との若い頃の出会いだった。
 家元には「千家十職」と呼ばれる職人の家系がある。彼らは表千家、裏千家、武者小路千家の三つの千家の様々な茶道具を作る家柄である。

 伊住さん(年が一つ上なのでそう呼んでいた)は長男の現御家元が三笠宮家から奥様をもらわれた時、ご自分の千家十職を持ちたいと思われたらしく、その時に私は声を掛けられた。


 31歳の時だった。
 わざわざ鹿児島までご足労頂いたのである。
 それからというもの、酒の弱い伊住さんは酒好きの僕に良く付き合ってくれ、誰にも言えないご自分のプライベートな話しも随分してくれた。


 ハンサムで優しい人だった。
 しかし、彼は44歳の若さで、病で急逝した。

 その翌年から、御家元の新年の初釜式に呼ばれる様になった。私が43歳である。
 茶会が終わり退席する私を鵬雲斎宗匠と御家元が待っていてくれて「沈さん、生前、伊住がえらい世話になったな。ほんまに有難う」と言われた。


 それからのお付き合いだ。
 何かにつけて甘え、お願いする私に、お二人は本当に親身にお付き合い頂いた。御家元は僕の兄であり、父が亡くなった後は鵬雲斎宗匠が僕の父親の様な気持ちでいた。


 現、統合幕僚長 空将である内倉浩昭氏は鹿児島出身で若い頃から交流がある。
 以前、彼から電話があり「沈さん、裏千家の鵬雲斎宗匠は戦時中、徳島の白菊という部隊に所属されておられました。偵察の部隊ですが、戦局が追い詰められた頃は偵察機も特攻機として用いられました」と教えられた。そして、その飛行機の写真を送ってくれたのだ。


 本来、航速の速くない飛行機を迷彩色に塗り替え、250キロ爆弾を2個抱えて敵艦に体当たりを敢行させる。
 アメリカのグラマンF6Fヘルキャットの餌食で、死亡率100%の部隊であった。
(こんな事が作戦と呼べるだろうか、、。)
 しかし、出撃2日前
 「千少尉、待機」の命令が下る。
 上官に「行かせて下さい!」と懇願するも命令は覆る事はなかった。


 同期の学徒出陣の仲間達は次々と飛び立ち帰らぬ人となった。
 松山の基地で終戦を迎えた千少尉は京都へ戻り、自宅の兜門の前に正座し「只今、戻りました」頭を下げたという。


 幼い頃から「千家のボン」「行儀の家の子」と呼ばれ、食うには困らぬ家の子として、何か自分の力で生き方を決めたい。それが家族にも内緒での海軍入隊であり、特攻隊であったが、彼を取り巻く日本の伝統文化の中心という柵は彼を手離すことはなかったのだ。


 この事はご本人も理解する所となり、別の苦しみに苛まれる事になる。