ある日、現統合幕僚長 空将をされている内倉氏(当時・第5航空団司令 兼 新田原基地司令)から電話があった。

「沈さん、裏千家十五代家元 鵬雲斎(以下、鵬雲斎宗匠)が戦時中、海軍の特別攻撃隊に居られたのは御存じですよね。鵬雲斎宗匠のおられた徳島の白菊部隊は偵察機部隊なのですが、戦争末期には特攻機として用いられたのです。資料がありますのでお送りします」と。

統合幕僚長 空将 内倉 浩昭 氏
出典:統合幕僚監部ホームページ(CC BY 4.0に基づき使用)

彼とは、彼がまだF15戦闘機に乗り込み、領空侵犯機に対峙していたパイロット時代からの知り合いだ。
鹿児島の垂水出身で、現在は陸海空の軍事の現場のトップだ。そして世界の軍人達から尊敬されている。

さて、偵察機というとそれ程、飛行速度が速い訳ではない。それを迷彩色に塗り替え、500キロの爆弾を抱えさせて米艦船に突っ込む、というまさに有人ミサイル作戦だ。アメリカのグラマンヘルキャットの格好の餌食だ。

僕は内倉君から送られてきた白黒の写真を見た。(後に調べたが死亡率100%の部隊であった。)

茶盌 銘 「白菊」十五代作

僕は抹茶碗に大空を翔ぶこの飛行機を描いた。
そして、第17回鹿児島・沖縄・奄美大島「和合の茶会」の青年部席で鵬雲斎宗匠に抹茶を点て何も言わずに出してもらった。席主は、塚脇青年部長(当時)だった。

鵬雲斎宗匠は、まわりの方々と談笑されていたが、その茶碗を見るや否や一息にお茶を飲み干した。そして「ワシや!ワシの飛行機や!」と。

「沈さん、作ってくれたんか? ワシ、これ、もろてええか?」とボロボロと泣きながら話された。
僕がそのつもりでお作りしました、と話すと嬉しそうに何度も何度も頷かれていた。

この茶碗「白菊」を今日庵に送るとき、畏友岡田哲也氏の作った詩を添えた。

「おぼぞらの 眞澄のはてに あるという わがおくつきに かほる白菊」

鵬雲斎宗匠からは自筆の次の手紙が届いた。


梅雨時とはいえ気温も定まらぬ不煩の折御変わりございませんか 。
早速御便り戴き感謝いたして居ります。
あの慰霊祭を鹿屋で施行 一盌の御茶で平和を恒久に祈願した思いも新に貴方が
心込めて制作して下さった白菊(愛機)の茶碗を手に今朝もかつての日を想念。
貴方の御友達が作られた詩
「おほぞらの 眞澄のはてに あるという わがおくつきに かほる白菊」
何度もくちづさみました 生き残り悔しさは当時死ぬ想いと同じでした。
忸怩さえ 何処かえ唯 何故出撃出来なかった己の不甲斐さを責めぬきました。
有り難うございます。
此のお茶碗を抱いてやがてはあの世に飛び立ちましょう。
何れ御会いする日を楽 しみに
御身御大切に

早々

六月十日
沈寿官様

千 玄室


戦後80年目の8月14日、天皇陛下がポツダム宣言の受諾を決めた日に、鵬雲斎宗匠は静かに独り大空に飛び立って行かれた。
戦友達の待つ「白菊の花園」に。
彼は死ぬまで操縦桿を放さなかったのだ。

合掌

十五代 沈 壽官