【直心直伝 91号】
<2011年12月5日、電通報に掲載された文章です。>
世襲の家に生まれた者には少なからず葛藤があるものだ。決められた職業に自分が向いているのかという悩み、歴史を背負っている家の重さ。それぞれの家の、それぞれの道に、思いがある。
私の先祖は、桃山時代、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に連行された陶工の一人として、410年前に玄界灘の風濤を越えて朝鮮半島から渡ってきた。そして薩摩の地で薩摩焼を作り続けてきた。
当時の物語は、作家・司馬遼太郎氏の小説『故郷忘じがたく候』につづられている。
私は高校・大学を早稲田で学び、家業とは離れた青春時代を送った。
一生陶芸を続けるのなら若い時分ぐらいは違う世界で過ごさせようとの父の考えであった。
卒業後、京都で初めて理論的な陶工の養成プログラムを受けたのだが、幼いころから家業としての焼き物しかイメージできていなかった私には、「制作」といったものに対する基本的な姿勢が極めて脆弱であった。そのことへの不安が徐々に募り、新たに修行を決意することとなる。
目指すはイタリア。イタリア語で「陶器」という意味を持つファエンツァ(FAENZA)という焼き物の街の陶芸学校への留学であった。制作に対しての信念のようなものを持ちたい。仕事の背骨になるものが欲しかったのだ。そして、その地であらためて「表現とは何か」という課題に2年間向き合うこととなる。
「模様は模様をつくらず」という言葉がある。人間国宝の陶芸作家である富本憲吉氏の名言だ。それは、模様には制作者の意志が込められており、それを他者が再加工するということは、木に竹を接ぐ行為に他ならないことを意味する。
すなわち「表現」とは意志を形作ることなのだ。「表現」は、シンプルに自分の意志を表す行為であり、そして、それは建築や料理と同様なのだ。そう考えたら、家業を継ぐことに対する特別な抵抗感が薄らいでいった。
司馬遼太郎氏の手紙に励まされ
家の歴史は土地の歴史でもある。欧州から帰国した後、韓国で学ぶことは避けられないテーマであった。400年前、半島から渡ってきた祖先のルーツを辿るべく韓国に渡り、キムチの甕の工房での修行に入った。大物成型は重労働で過酷な作業を強いられる。言葉の通じない中で現地の人々と寝食を共にして働くうちに国境の壁は少しずつ低くなっていく。ある日、司馬遼太郎氏から届いた手紙に励まされた。
「民族というものは種族ではなく、文化の共有個体にすぎません。その上で、日本人としてのアイデンティティーを強く持ちながら隣の国の心が分かる、そんな人材が求められています。自らを一個の人類に仕上げる心掛けが必要です」と記されていた。
肩書やお墨付きというものを一切、はぎ取ったときにどのような自分でいられるか。大切なのは、日本人としてやるべきことをやり、やるべきでないことはやらないということだろう。
そう考えたとき、一家を継ぐということが、単に家業を継承することにとどまらず、その凝縮された歴史空間の中でいかに自らを広くトランスさせるかということなのだと思い至った。
灯台に照らされて未来へ漕ぎ出す小舟
昨秋は、パリ三越エトワール美術館において「沈家歴代展」を開催し、初代から私までの代表作を一堂に紹介させていただいた。さらに今年は、年頭から東京をはじめ各地で「歴代沈壽官」帰国展を開催させていただいた。
大舞台での一仕事を終えた今、考えることはあらためて足元を見直そうということだ。世界に発信するためには地味で目立たなくとも、きちんと地固めされたものでなければ、決してグローバルな視線には耐えられない。
また、私はこれまで、薩摩焼におけるランドマークとしての「灯台」でありたいと願ってきた。動く「現代」と表裏を成す、動かない「伝統」であるべきだと。しかし、伝統という模様の範疇の中のみにとどまっているというだけでは駄目なのだ。パリの地で私自身も先祖という動かぬ灯台の前では現代に生きる一艘の動く小舟であることを知ったからだ。
わが家の古文書をひもとくと、当時の人々の悩みや苦しみが赤裸々につづられている。古文書を介する交信を通して曾祖父である十二代と私は、今も対話し続けている。
「未来」をつくるのは、「現在」であり「過去」は「現在」の膨大な蓄積である。今に生きる私たちにとって過去とは、単に過ぎ去った時間ではなく「未知」なる過去の体験の集積なのだ。私たちに未来のことは何一つ分からない。しかし、過去から「現在」を学ぶことは可能だ。「現在」を解く鍵は「未知なる過去」にある。決して過ぎ去ったことを捨ててはいけない。
私はある時は灯台になり、また、ある時は歴代歴世という動かぬ灯台に照らされながら、現代という小舟になって未来に向けて漕ぎ出している。
十五代 沈 壽官